Fear of Opacity〜不透明な恐怖〜

ここでは私、雉郎が不定期になんの前触れも無くいわゆる”怖い話”を書いて行きます。よろしくお願いします。

”離れないで”

 

今から三年前の話です。

私は仕事を終え、丁度退社しようと思っていました。

 

同僚のA君と帰り道が一緒なので私は彼に声をかけ、電車で1時間の道のりをたわいない会話をしながら帰っていました。

 

いつもなら上司の愚痴や別部署との合コン、好きな音楽の話と相場は決まっていました。

 

ただ、その時のA君はどこか暗くやつれている様な印象を受けました。

 

彼に事情を問いただしてみると、彼はその重そうな口を開き話し始めた。

 

どうやら彼の住んでるアパートで奇妙な物音がするらしいのだ。

 

物音がするのは決まって深夜1時〜3時の間。

場所は寝室と風呂場の間、つまり部屋の間の壁から音がするらしい。

 

私はネズミが天井裏を走り回っている音を勘違いしたり、風呂場の排水管の音なんじゃないか、とからかい気味に言ったら

彼は黙り混んでしまった。

 

 

どうも様子がおかしい。

 

 

私はA君に一緒に飲まないか、と誘った。

明日は日曜日で仕事も休みだし、と。

 

彼は喜んでそれに応じ、彼の最寄駅で降り帰り道にコンビニで酒とつまみを買った。

 

A君のアパートは2階建ての実に古めかしいものだった。

家賃が相場より安くて、駅も近い。

我々の様な安月給の、しかも一人暮らしだったA君にはもってこいだった様だ。

 

彼の部屋は202号室なので、緩やかな階段を登り部屋を目指す。

 

 

まさにその時だった。

 

 

辺りが何か生臭い血の様な臭いがした。

 

 

最初は勘違いだと思った。

 

 

A君の部屋に近づくにつれて、その臭いは強くなっていった。

 

 

それは血の臭いと肉が腐った臭いが混じった様な酷い臭い、我慢するのは堪える。

 

 

だが、何故だろう。

 

 

A君は特に嫌な感じもなく、むしろ上機嫌に自分の玄関のドアを開けていた。

 

 

部屋に入った瞬間、その臭いは無くなっていた。

 

 

私はA君を怖がらせたくなかったのでこの事は黙っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A君との宅飲みはすぐに日付が変わる程楽しいものだった。

やっぱり同年代ともあって話が弾む。

 

私は顔を真っ赤にしたA君に風呂を貸してくれる様お願いした。

 

彼はフラフラしながら、風呂場を案内しすぐに自分の布団に戻って行った。

 

 

 

 

 

 

シャワーを出しながら、頭を洗っていると不意に部屋に来る前に嗅いだあのニオイの事を思い出す。

 

 

あれは結局何だったのだろう。

 

嫌な事を思い出してしまった。

 

早く忘れてしまおうと頭を流している時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンッ!!

 

 

 

目の前の壁から音がした。

 

最初は酔っぱらっていたので、気のせいだと思った。

 

 

 

 

 

ドンッ!!ドンッ!!

 

 

 

 

 

気のせいでは無かった。

心臓が焼ける様だった。

 

 

 

 

ドンッ!!ドンッ!!ドンッ!!

 

 

おかしい…

ネズミの音にしては大き過ぎるし、排水管の音じゃない。

 

 

もしくは隣の寝室で私を驚かそうとA君が壁を叩いているのか。

 

そう思うと急に馬鹿らしくなり、A君を咎めたくなった私はすぐに風呂場から出て彼のいる寝室に向かった。

 

 

そこに起きている筈のA君は布団に包まっていびきをかきながら眠っていた。

 

 

隣にはもう1組布団が用意してある。

しかも、とても綺麗に乱れなく敷いてあった。

 

 

泥酔していたA君は布団を、しかも綺麗に敷くことが本当に出来たのだろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先を考えてはいけない。

 

私は怖くなって用意された布団に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ間にか意識を失った様に寝ていた様だ。

携帯の時計を見た、時間は1時36分だった。

 

凄く眠い…

あれからそこまで時間は経っていない。

 

 

 

1時か…

1時と言えばA君が奇妙な物音を聞いた時間だ。

 

 

はっきり言ってここに居たくない。

今すぐタクシーに乗って自宅に帰りたいと思った。

 

 

ただ、A君を置いて行くのはやはり忍びない。

今からすぐに寝れば気づいたら朝に

 

ドンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

また音が聞こえた。

 

ドンッドンッドンッ

 

もうやめてくれ、耳を塞いだ。

 

ドンッドンッドンッドンッ

 

頼む、頼むよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひっきりなしに聞こえていた音が止んだ。

代わりにギシッギシッっと乾いた音が聞こえてきた。

 

 

私は最初、誰かが近づいて来ている、と思った。

 

しかし音は一向に近づいて来ない。

 

 

 

 

恐る恐る音が鳴る方を見た。

丁度天井の角の部分にコートが掛けてあった。

 

 

今は夏なのに何故冬物のコートがかけてあるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コートだけじゃなかった。

あの乾いた音は天井から吊るされた縄から聞こえていた。

 

 

その先端に括られていたのは、人だった。

 

 

 

 

 

 

頭がどうにかなりそうだった。

冬物のコートを着た女性が縄で首を吊っている。

 

 

怖くなった私は腰が砕けて布団の上に倒れた。

一人ではどうしようも無かったので隣のA君を起こそうとした。

 

 

 

声が聞こえて無いのか、ピクリとも動かない。

何度も揺す振り、大声で彼の名前を呼び続けていた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ!!

 

 

目の前の女性が暴れ始めた。

暴れた足が壁に当たる音と彼女の苦しみに悶える声が静寂を破る。

 

 

小さな悲鳴をあげながら私は布団を被り、昔おばあちゃんに教えてもらった念仏を唱え続けた。

 

 

心の中で消えろ消えろ、と思いながら

何回も何回も何回も何回も唱え続けた。

 

何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音が止んだ。

また辺りは静寂に包まれた。

程なくして虫達の鳴く声と換気扇の回る音しか聞こえなくなった。

 

 

 

どれくらい時間が過ぎたのだろうか。

携帯の時計は2時29分だった。

 

大粒の汗を垂らしながら私はまた布団から顔を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性が吊るされていた場所には何もない、天井の角だけが見える。

 

何もない…

夢を…見ていたのか…

 

 

 

 

あれが夢だとしても、なんて気持ちが悪い夢なんだ。

 

喉が乾いた。

台所に水を飲みに行こうと立ち上がり、私は歩き出そうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は水を飲んで、換気扇の前で一服した。

何も考えたく無かった。

 

 

初めての体験だったので完全に憔悴してしまった。

 

ぼっーっとしていた私はタバコの灰を床に落としてしまった。

 

 

あーまずいまずい。

灰の前にしゃがみ込み、台所にある雑巾を取ろうとして立ち上がろうとした時に

目の前に女が立っていた。

 

 

 

 

 

”離れないで”